« 心機一転。 | Main | 何かご所望ですか? »

September 02, 2007

これまでの2年間(続き)。

レミゼを観ても号泣せずに済んだので、「もう大丈夫」だと思っていました。でも、自分の内面に正面から向合うと⋯⋯まだまだ癒えておらず、どうしようもない自分がいます。
だからと言って、現状に留まってしまうのも進歩がない。
牛歩でもイイから進まなくては。

地元の個人病院に戻り、肺炎を起こして暫くすると「延命治療はご希望されますか?」という質問をされた。
忘れもしない、7月7日のことでした。
悩む。
一日、家族で相談をすることとなる。
病気とは無縁の元気な頃に父が「延命は希望しない」って言っていたから、その事を母に伝える。
医師が言うには「延命治療をしても本人は苦しい」らしいので、それも兄に伝える。
翌日、母が医師へ家族の考えを伝える。いくら何でも、その時の父には聞けないし⋯⋯。

入院し、私が行くと無理に元気を装うのか、翌日には父は発熱する。
行く度にそうなので、肺炎を起こした最後の1ヶ月は父のところに行くのを避けた。
行くと血圧も上がるんだけどね、でもその反動で体調を崩すのでした。

熱を出して「ふぅふぅ」している姿を見ると、悲しくなり、逃げていたのかも知れません。
目を開けているのも辛いのか、閉じている事が多い。でも、手を握れば反応がある。確実に意識はあったのだ。
だが、時間時間での看護師による体調チェックでは、意識レベルのチェックをするには手軽なので鎖骨あたりをつねっている。家族の前でも当り前の事のようにするその姿には溜息が出た。言っちゃ何だが、流れ作業の一環でしかないように見えた。

母は毎日病院へ行っていたが、私は足が遠のいたままでいて、ある日「自宅にいるように」って母から言われ、その時が来た。
その日、私は朝から掃除をし、母は家と病院を何度も往復し、病院から電話がかかり⋯⋯私が到着したのはとっぷりと日が暮れた後でした。
到着すると、医師が最後の確認をし、処置が始まる。
イツモノコトでしかないんだろうな。日常の一場面でしかない。そう思うと、ここで良かったのかどうかも疑問になったり。

つまり、「遣り切った」感のないまま後悔ばかりが残ったのでした。
だから、いつまでも自分を責め、泣き続け、三回忌を済ませた今でも泣いてしまい、情けないのである。
看取らなかった自分はどうしようもない莫迦で、父の世話だって満足に出来ない。
アホな親戚の態度も納得行かず、でもその怒りをぶつける場所もなく、2年前の8月は忘れたくても忘れられない1ヶ月になりました。

それからは、父の後を追うように件の伯父が年の瀬に亡くなる。
母が年明けに入院する事が決まった矢先の出来事でした。伯父の葬儀には参列は何とか出来ました。母の体調が心配だったのもあり、私は母と一緒に参列。
正直、母の顔色は悪く、私一人が参列すべきだったかも知れません。
当然、伯父の四十九日には我が家は誰も出席しなかったので、それで縁切状態だったりします。
母は伯父夫婦にいびられ続けていたので少々憎んでいたりするから、それはそれで構わないのでした。

さて、母の事。
父の看病を終え、それでも元気な様子をしていました。
父の事があり、毎年やっていた検査の時期が半年ばかりずれたのですが、内視鏡で検査。
すると、あっちゃいけないものがあったのでした。
地元の病院から、父が入院したのとは別の大学病院へ紹介状を書いてもらい、行く。
初診は私も付いて行った。
そんなに深刻ではないと私は考えていました。いつものごとく、内視鏡で済むだろうと考えていたのです。
大学病院の内視鏡で見た結果、開腹する必要があると言う。
寝耳に水って感じ。
正直、母のツルツルのお腹に傷が出来るのはショックで、何とかならないものだろうかと思っていたら、腹腔鏡手術を勧められたとの事。
お腹に数カ所の穴を開け、その穴から器具を射込み手術。
これまた病院の実績として手術数にムックに載るんだろうけど、経験も豊かそうだし、荒巻鮭になるよりは回復も早いので、それでお願いする事になる。

医師からの話では小さいものだし、不安はありませんでした。
母の手術予定日も、突然の肝移植手術が入って先送りにされるくらいだから医師側も軽く考えていたと思われます。
そして無事に手術日を迎える。
入院する際も、医師からの説明を受けるのも、そして手術日も叔父(母の弟)と共に病院にいました。
沢山時間があり、叔父からは父の事、母の事、いっぱい話をした。
いろいろと続いていて、気落ちしないようにって気持ちだったのでしょうね。
母が病室に戻り、叔父は家に帰り、私は母に付添って泊まりました。実は翌日、はずせない仕事があり午前中半休を頂きました。
以下、職場でのやり取り。
 私 すみません、土曜日に半休を頂きたいのですが。
 職場 どうして?
 私 病院から「付添いで泊まるように」って言われたんです。
 職場 普通、病院では泊まりたくても泊まらせてくれないのに。
 私 でも、医師から言われたので⋯⋯。
 職場 付添って何するの?何するのか確かめたの?
 私 ⋯⋯。
 職場 いなくても、病院で面倒看てくれるでしょ。
こんなやり取りがあったものの、向こうが折れて休みを頂いたのでした。今は、その発言をした方は義父母のお世話で大変みたいです。

手術した夜は、幸い急変なんて無く、ただ痛みに苦しむ母を励ますしか出来なかったのだけど、一つの山を越えられた事にホッとしました。
出産の方が楽だったそうだ。
翌朝、母に促されて朝食をとりに食堂へ行き、そして、仕事に向かいました。
私の担当を終えたら直ぐに帰りたかったけど、それは難しく、昔の職場だったら車で直ぐだったのにと思うと、母に申し訳なく思ったりした。

手術した晩には、母からとった部分を医師から見せられ、報告がありました。
ちょっと大きめなニキビ程度の大きさで、でもちょっと深くに根付いているかなという物体。
ついでに採った胆石はウズラの卵大で、痛みを感じる前に手術して良かったと思わせた。
数日後、組織の病理検査の結果、ステージ3aと判明。あんなに小さいものなのにリンパまでいっていた。
母は地元の総合病院に通っていた事を後悔し、私は脳に転移していないか不安になって泣いたり。まだまだナーバスな時期だったのでした。


このつづきは、また。

« 心機一転。 | Main | 何かご所望ですか? »

Comments

Post a comment

(Not displayed with comment.)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52491/16320872

Listed below are links to weblogs that reference これまでの2年間(続き)。:

« 心機一転。 | Main | 何かご所望ですか? »

October 2014
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

  • お気に入り♪
  • 戯曲 シナリオ
  • 戯曲